January 05, 2010
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August 23, 2009
加古川沿いの水塚
地理授業で水郷景観(輪中)について、説明した。村落の単元の最初(村落の立地)のところである。
輪中集落とは、洪水から集落や農地を守るため周囲に堤防を巡らせたもので、木曽三川下流が知られている。このような集落では、避難のため母屋より一段高い水屋(水塚ともいう)が築かれる。
実は加古川沿いにも、似たようなものがあるといううわさを聞き、調査に出かけた。それは、国包にある「築山神社」である。「築山」という名は盛り土をしたと言う意味と考えられる。
この盛り土は、神社一区画分のみで、周囲は石垣で築かれ、意外にしっかりしている。高さは周囲の2階建て家屋の軒先ほどなので、3m程度である。
神社横には市教委の掲示板があり、「国包出身の大坂商人長浜屋新次郎が洪水を防ぐため私財をなげうって、1756年に築いた」とある。神社になったのは後年のことだそうだ。
先ほど述べた水屋を造ることができるのは地主や富農層であって、一般の小作人などはそんなものを造ることはできなかった。そこで庶民たちは洪水を逃れるため、盛り土を築いていた。これが水塚とか助命壇あるいは命塚と呼ばれるものである。国包は加古川の水運によって形成された商業集落(渡津集落)であるが、これも助命壇と考えていいように思われる。調査し損ねたのは、この神社がどのような神を祭っているかを調べなかったことである。もし龍神など水関係の神(水神)であれば、「なるほど、そうでしょ」ということになるのだが、そう都合はよくない(かもしれない)。
この神社の南側には加古川本流の旧河道がみられ、蛇行の様子を観察できる。またこれ以外の神社(稲荷神社)は計8段ほどの盛り土、付近のお寺(曹洞宗)は3段ほど盛り土しているだけであった。
国土地理院空中写真1961年撮影
※中央が国包集落、上方を加古川が流れる
※2本の点線が旧河道
※集落内の丸印が築山神社
地理的空間7号

